
昭和の名工、唐津の中里無庵さんは無為の作陶を目指していたと聞く。 若いとき以織も、明かりを消したり、目をつむったりしてロクロを引いた覚えがあるが、 そんな即物的なことで対処できるものではない。 今になって思うのは、目をつむってうまいロクロが引けるなら、 それは曲芸であって、求める「無作為」にはほど遠い。 どうであれ作為のない作為など絵空事と言うほかないのだが・・・・。
その無作為の作陶を以織に要求した方がいる。 誰あろう。 以織井戸を世に問うてくださったもう一人の恩人・猪鼻徳寿氏その人なのだ。
東京・西荻窪に猪鼻氏経営の伊勢屋美術「壽庵」がある。 およそ骨董店らしくない構え。店頭には珍しい樹木「ソヨゴ」が茂り、入り口を隠している。 しかし、一歩踏み入れれば、そこは美術品の格納庫だ。 「古美術」という言葉は「古」を冠しているために勘違いされやすいが、 作られてから時間が経っているだけで、今を生きている。 だから以織のようなものづくりには始末が悪い。 「古いから」と言い訳出来れば気楽なのだが、 「いくつになっても未熟だね」と見下されている気がして正直滅入る。
古美術の名品を毎日眺めるだけでなく、それを商いにしてきた方の目はいかようなものか。 毎日貧しくともユルユルと暮らす鄙爺に到底想像できるはずもなく、 ただただ頭を垂れるか、苦し紛れのその場しのぎで逃げ帰るのが本当のところ。 そんな以織に「無作為の作陶」か。
仲森氏の「高麗茶碗考」に曰く「結局のところ禅を理解しろ」と。 そして猪鼻氏が無為を示して曰く「禅を実践しろ」か。 「言うは易し行うは難し」とそのまま返してやりたいものだが、それが出来ない事情がある。 猪鼻氏の言行は丁寧そのものなのだ。それが誰に対してでも、変わるところがない。 もう何十時間も共に過ごしているのだけれど、いまでもあきれるほど丁重に接してくださる。
良寛さんに「愛語」がある。 浅学な以織のうる覚えだから調べてほしい。 元々は良寛さんの敬愛する道元さんの思想だったと記憶しているのだが。 猪鼻徳寿氏の言行は「愛語」の実践なのだろうか。
古美術商さんを古道具屋さんとか時代屋さんと侮るなかれ。 会う方どなたも、とんでもない碩学の持ち主だ。 教養だけでなく、あたりまえだが目利きである。 目が利かなければ商いできない世界に生きている壮絶な人々なのだ。 なのに猪鼻氏は「愛語」を貫いている。 もし巧言令色と片付ける方がいるなら、その方こそ自分を不誠実に生きている。
ただし、猪鼻氏自身から「愛語」を聞かされたことはない。念の為。
猪鼻氏の頭の中にもちろん良寛さんは住んでいる。 とはいえ、西行さんだって定家さんだって一休さんだって住んでいる。 古今の美術家、芸術家、みんな住んでいる。 それが古美術商といってしまえばそれまでだが、深く広い森の全容は以織にはわからない。 だから猪鼻氏の「愛語」が良寛さん所以のものかどうかは知らない。 けれど、聞く人が自身を大切にしようと思うのだから、これは愛語の力というほかない。
そんな訳で以織も無為の作陶を心がけているのだが、 つたない頭で(この時点での)結論を言えば、「作為のない創作はありえない」。 しかし「必要最低限の作為にて製作する」ことは出来る。 人は何を恐れてか実行しないだけなのだ。かく言う以織もまだ恐れている。 こんな以織だから、「無為の作」には悩んでいるのだが、 最近、この蓑毛を訪ねてくれた老茶人との会話で気付かされたことがあった。 会話の弾みで、窯の神様がいるとしたら、窯の神様は常に「微笑んでくれている」。 なぜなら窯の神様は「あなたが試してきた結果はかくあるのです」といつも正直だ。 失敗とか成功とかは作る側の思いであって、自然は自然の摂理のままを提示してくれる。 と、こんなふうに柄にもないことをおしゃべりしたら、 「無作為の作為を具体的に聞くことが出来た」と返してくれたのだ。
そうか、人の力なんぞはたかが知れている。 我々は自然にちょっぴりちょっかい出しているだけなのだ。 せめて余分な作為は控えよう。作為もエコの時代だね。
猪鼻氏について語りながら、猪鼻氏の外世界に触れていない。 世間知らずの以織ゆえ、実はよく知らない。 西荻を大きく超えて杉並区商店街の重鎮であることくらいは知っている。 そしてイヴェント創出のアイディアマンあることも。 それも猪鼻氏の発現するアイディアは質が違う。世に還元を一義としている。 例えば、バス通りなのにバスを止め、路上親子お絵描き大会を催した。 都会の子供たちに道に落書きをするという、とんでもない経験を与えた。 終わると、親子で絵を消す。キャンヴァスを公共の場に返すシナリオだ。 ある時は外灯に鉢植えを付け西荻を花通りにしたり、 街中を結婚式場にしてしまったり、きりがない。 最後になってしまったが拙作を3年前から販売してくださっているお方。 どこの誰ともわからない以織に手を差し伸べ、 個展を開いてくださっている大恩人が猪鼻氏です。
ある日、以織は猪鼻氏に軽い口調で提案したことがあった。 「こうした方がもっと売れるのでは?」と。 氏は「愚直にいきましょうよ」とひとこと答えた。 恥ずかしさのあまり押し黙ったのを覚えている。
誤解覚悟で正直言えば「徳さん、大好きだよ」。 (h26_4_25:以織記)