
どなたも名物手の井戸茶碗で茶を喫してみたいでしょう。 十年少し前の以織も気楽に思ったものです。 もちろん、それは多くの人には夢のまた夢。 ごく限られた茶人たちだけに許される世界の話。 ところが以織は陶工だったものだから、 なら自分で焼いてしまえばいいと大それた夢に走り出したのです。
まあきっかけは以上のごとく単純な発想です。 以織はこう考えました。 李朝の名も無き陶工が焼いた器が日本の茶人に見立てられ、茶碗として選ばれたというのなら、 おいらもいっちょう見立てられる茶碗を作ろうじゃあないか。 この浅はかな考えはN氏と伊勢屋美術・猪鼻氏のおふたりに会うまで変わりませんでした。 いや、再考することなど思いもよりませんでした。 以織にとっては、たいした意味もなかったし、それより実物を焼き上げようと懸命でした。
おふたりに指導を授かるようになり、はたと気づいたのです。 いままで以織が焼き出そうと目標にしていた井戸茶碗は、 その時代、同時に焼かれた多くの同類碗の中から「茶の茶碗」として選び出された茶碗ではないか。 「茶の茶碗」として見立てられたものではないか。 ということは、昔と同様、今の茶人に自作の茶碗形器の中から 「茶の茶碗」を見立ててもらいたいという以織の願望は間違っている。 なぜなら、五百年前、既に茶碗として見立てられた物をお手本に作っているのだから 以織の焼き出したものははじめから茶碗だということだ。 出来映えはともかく、以織は「茶の茶碗」を目指して焼いていたことになる。 N氏が公開を許してくださった「高麗茶碗考」に曰く 「量産体制から偶発的に生まれる奇形」こそ以織が焼きだしたい茶碗だったのだ。 「えぇー」以織自身びっくりです。しかし認めざるを得ません。
茶を喫する器としてはじめから作られている代表格は「楽茶碗」でしょう。 以織は「楽茶碗」と自作とは一線を画すと思っていました。 しかし。考えてみると製作発想が違うだけです。製作法の違いは発想の違いです。 高麗茶碗の再現を考えるとき、量産茶碗形器にあるという根本は外せません。 「奇形」だけに注目するなら、高麗茶碗の再現である必要はないのだから。
実験的には「奇形」が生まれる条件を想像してロクロ引きをし、試し焼きをします。 そうしていくつかの能率的「奇形」製作法も手に入れました。 ところが、以織が発見した能率作業の結果をN氏も猪鼻氏も喜びません。 やはり外連味があると指摘するのです。
楽、志野、瀬戸黒、織部の造形美には外連味はないのか。 古作のひょうげた沓形茶碗に以織自身、外連味など感じません。 はじめから茶の茶碗を目指したときには、突き詰めた人智は美になり得るわけです。 かたや無造作を宗とする高麗茶碗です。 茶美を目標にせず、茶美を表現できねばならない難問に 以織は向き合わねばならなくなりました。
井戸茶碗で茶を飲みたいなと思ったばかりに。(h26_3_14)
sukima
追記:で結局、多作、多作です。多作に勝る物はありません。
ところで五百年前の茶人たちがなぜ高麗茶碗に目を付けたかを考えるに、
他の選択肢は無かったはずです。侘び茶にふさわしい茶碗を選ぶとき、日本にはまだその器がありませんでした。
国産品で手に入る茶碗といえば中国の天目茶碗を模した瀬戸天目くらいなのです。
その頃、国内で施釉陶器を焼くのはなんと瀬戸地方だけなのです。他の窯場はみな無釉の焼き締め陶器です。
茶の湯創世期を代表する精巧な中国陶磁器は過去のものになっています。
侘び茶の時代をむかえ、茶人は高麗茶碗、李朝茶碗の無造作な茶碗へ引かれていくわけです。
不器用な以織は野暮な作陶なら出来るのではないかと、実は困難な高麗物を選んでしまいました。