千種伊羅保

ここに一冊の分厚い本があります。昭和47年平凡社発行の「茶碗」というシリーズです。 その第3巻「朝鮮二」というタイトルになっています。 シリーズの全容は知りません。。 この一冊は3年前、ネットオークションで見つけました。 有名な小山冨士夫氏の監修にて、李朝茶碗の名品が原寸大の画像で載っています。 この本ではじめて「千種伊羅保」(ちぐさいらぼ)に目がいった以織です。

昨年(平成25年)の春、N氏よりアドバイスを受けました。 「井戸茶碗以外の高麗茶碗を焼くことで、井戸への理解も深くなるのでは」と。 それで「伊羅保茶碗を手がけたら」と言うのです。 正直、以織は伊羅保に興味がありませんでした。 以織の理解する伊羅保とは、鉄を含んだ荒い土に 含鉄土石と土灰を成分とする釉薬を掛けた焼物を意味していました。 焼き上がった器体の上に鈍色の条痕が特徴的です。 酸化傾向の仕上がりなら条痕は黄色。還元傾向では灰青色。 誰が焼いても同様の仕上がりのする現代のこの伊羅保に興味がありませんでした。 ただ古陶の伊羅保が、違う肌であることは薄々知っていたのですが。

そこへN氏が所蔵の伊羅保茶碗をご持参してくださったのです。 黄伊羅保でした。そして以織が理解していた現代伊羅保とは決定的に違っていました。 この黄伊羅保の仕組みは、以織には美濃の黄瀬戸に思えます。 「なら試してみよう」とN氏の黄伊羅保に魅せられた以織でした。 そこで冒頭の分厚い本をめくってみたわけです。 そうしたらです。見ていたはずの千種伊羅保にはじめて出会った感でした。

古作の伊羅保には何種類かあります。 以織とて半分づつ違う釉薬を掛け分けた片身替わりの伊羅保があることは承知していました。 見込みに白刷毛目が効いていることも。ただ詳しく調べてはいません。 そんな以織が片身替わりの一種類である千種伊羅保のページに眼を吸い寄せられたのです。 それはN氏自慢の黄伊羅保茶碗の釉肌を片身に持つ、もう半分に井戸釉の肌を持つ姿でした。 井戸釉が使われていると知って以織には俄然闘志が湧きました。

今まで千種伊羅保に気づかない理由もわかりました。たった二碗しか伝世していないのです。 他の片身替わり伊羅保と違う点は、井戸釉が使用されているということです。 片身替わりタイプの伊羅保茶碗の中で、千種が一番古そうです。 画像からの判断ですので正確さはありませんが、所謂、片身替わり伊羅保には井戸釉でなく長石釉が使われています。 もう半分の伊羅保釉は千種伊羅保のそれと同様と思われます。 ただし中には半分が長石釉で、もう半分は(以織が興味を引かない)現代の伊羅保釉に近い組成のものもあるようです。 時代的にはこれが一番若く感じます。

ここで大切なことをおさらいせねばなりません。 それは伊羅保がもともと朝鮮半島にはなかったということです。 えぇ?そうなんです。ほとんどの皆さんが伊羅保こそ朝鮮半島の生まれとお思いでしょう。 確かに焼かれたのは李氏朝鮮王国内です。しかし日本からの注文品です。 江戸時代初頭、古田織部から小堀遠州の時代にかけてのオーダー品です。 だから、その頃の日本の茶人の嗜好を色濃くまっとているはずです。 侘び茶の思想を具現化した碗のひとつなのでしょう。

古作の伊羅保には一番古いとされる釘彫伊羅保、 次に千種を含む片身替わり、そして黄伊羅保と続くのだそうです。 ここは千種伊羅保の項ですから、他は別の機会に譲ります。が、 千種伊羅保も伊羅保の仲間なので共通する特徴を持ちます。 素地土は鉄分を含む石混じりの荒土。そのため焼くと土から石が覗きます。 なかには素地土を突き破って石山疵をつくる大きな石もあります。 こうした手の皮が擦り剥けてしまうほどの荒い土をロクロ引きすると、 石が邪魔して丸くロクロが引けません。 口縁近くの石の影響で、均等に土が伸びないので一部盛り上がってしまいます。 これを「べべら」と茶人は呼び歓迎しました。 ロクロ引きとは遠心力を利用して、粘る土を器の形にする技術です。 しかし、こんな荒土だと粘りが薄いので、作業中、遠心力で口縁が割れてしまいます。 それを防ぐ逆の力を加えることで、なんとか形にするわけですが、 逆の力のせいで口縁にV字型またはU時型のへこみが出来てしまいます。 これを「樋口」と呼んで茶人はまたも鑑賞点にしてしまいます。 鑑賞点はつまりは約束事で「べべら」と「樋口」は伊羅保の約束事になりました。 なので千種伊羅保もこの約束事を具有します。 あとは前述した伊羅保釉と井戸釉の片身掛け。 そして見込みに白刷毛目がのびのびと引かれるわけです。

黄伊羅保には見込みの底が「鏡」といって平らなものがあります。 で、伊羅保の見込みは平と思われがちですが、 伝世の千種伊羅保の底は自然な丸みを帯びています。 以織は自作の千種伊羅保の見込みをさらに「ぐわー」と広げてみました。 訳の分からないまま、つまり衝動にかられて作業してしまうことがあります。 この「ぐわー」という見込みもそのひとつです。 伊羅保の特徴を示すロクロ引きにはずいぶん訓練させられました。 自然な作業の結果、「べべら」も「樋口」も生じなければいけません。 最初の頃は、「そうなる」方法を求めて、幾分不自然な工夫もしましたが、 繰り返し繰り返しの作業にて、どうにか手が覚えたようです。 伊羅保の特徴が意識しなくても、自然に生まれるようになりました。

釉薬を掛けることは、もう何万回も経験しているわけで、取り立てお話することはありません。 見込みに廻す白刷毛目にはハタと筆が止まりました。 古作に見るあのおおらかさが出ないのです。 白土の濃いところと薄いところの差で出来る幾層かの筋も簡単に生まれません。 筆に問題があるのはわかるのですが、良き筆が見つかりません。 こんな時は時代を想像します。 古作を焼いた陶工の手元にある材料を想像します。 姉が土手の草で何本かの筆を作ってくれました。 その一本、茅の筆がまんまと当たりました。 几帳面でない以織の性格もこんな時ばかりは幸いして、伸びやかに白刷毛目を廻らすことができました。 あぁ、皆さん、以織の釉薬掛けは「生掛け」といって、乾燥しただけの素地に直接釉掛けします。 素焼きすることはありません。こうすると焼き上がりの質感がいいからです。 なので、釉掛け中、薄い口縁が割れてしまうことがよくあります。 それは致し方ない出来事。また作って焼くだけです。(h26_3/5)

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